<aside> <img src="notion://custom_emoji/c1dfbf67-5a07-4425-b106-caf5fb5dbb30/12a41fe9-61fd-80a2-b879-007a13e04d3e" alt="notion://custom_emoji/c1dfbf67-5a07-4425-b106-caf5fb5dbb30/12a41fe9-61fd-80a2-b879-007a13e04d3e" width="40px" />
Susumu Kobayashi was an artist whose works appears in The Legend of Zelda: Tips & Tactics and in The Hyrule Fantasy (Wanpakku Comics) manga.
This interview was conducted via email.
</aside>
March 3rd, 2025
Q: わんぱっくコミックと協力して始めた頃についてちょっと聞かせてください。その雑誌と協力することにしたきっかけは何なんですか。
A: まず、わんぱっくコミックは「徳間書店」という出版社から発行されていましたが、雑誌の編集は「ワークハウス」という会社に委託されていました。先輩の漫画家から「ワークハウス」の社長を紹介され、「徳間書店」が刊行する子供向けの書籍のカットや漫画の仕事を頂いていました。子供が好きなラジコンやゲーム、ガンダムのプラモデルに関する書籍のイラストです。そのご縁で月刊わんぱっくコミックを出すという企画が決まった時、私にも漫画を描かないかとの依頼がありました。
Q:わんぱっくコミックとの協力はいかがでしたか。小林さんにとってそれはどのように感じましたか。それから当時の出版社での仕事はいかがでしたか。
(確かにその2つの質問への答えは小林さんのツイッターで見つかるようですね)
A: 毎月の月刊誌の連載と必勝テクニック完璧版の描下ろしで多忙を極め、何も感じる余裕はなかったです。経済的理由でアシスタントはせいぜい1人か2人。ほぼ一人でやらなければいけないので起きている間は常に仕事です。睡眠時間1、2時間の日が1週間続く事もありました。
Q: どうしてわんぱっくコミックは当時の流行するゲームを元にした漫画を作って発行することにしたのですか。
A: 徳間書店はファミリーコンピュータが出る以前から、ポケットゲームやラジコンに関する本を出していました。ファミリーコンピュータが発売されてからも、ずっとゲームソフトに関する本を出していたので、このゲームの攻略法を漫画にしたら売れるのではないかと考えたのではないでしょうか
Q: わんぱっくコミックはどのように任天堂からゼルダの伝説やスーパーマリオブラザーズなどのキャラクターのライセンスを取得できたのですか。
A: 徳間書店は、わんぱっくコミックを発行する以前から、「ホビーボーイ」というファミリーコンピュータに関する記事を載せた雑誌を出していました。そうした事から任天堂と徳間書店のお付き合いがあったのだと思います。
Q: わんぱっくコミックと任天堂との関係はどのようなものだったのですか。
A: 当時の任天堂は、まだ現在のような大きな会社ではありませんでした。インターネットもなかった当時、会社として発展する為、ファミリーコンピュータを全国的に広めるためにはメディアとの協力が必要だったのだと思います。
Q: 小林さんそれともわんぱっくコミックは特定のゲームの発売日までに漫画を完成させるのを間に合うためにゲームの初期バージョンとか入手したことがあったのですか。
A: 私はありませんが、ワークハウスではあったと思います。任天堂ではありませんが、私も一度だけ、デービーソフトという会社に開発中のゲームを見せてもらうために取材に行ったことがあります。
Q: 小林さんは任天堂のゲーム開発スタジオを訪れたことがあったのですか。または、そのゲーム開発スタジオからの人々が小林さんのところに相談などをしに来てくれたことがあったのですか。
A: 漫画を描くにあたって、任天堂と関わっていたのは主にワークハウスの社員でした。 私は漫画を描く作業で精一杯で、そうした作業までは不可能でした。他の漫画家も同じです。
Q: 小林さんはご自分の漫画を描いていた時は任天堂からのロードマップとかを使って働いていたのか、それともある程度の創作表現の自由を持ったのですか。
A: ワークハウスからは、漫画の依頼にあたってゲームの設定資料(キャラクターの解説やマップ等)と、徳間書店を初め様々な出版社から出されていた攻略本、それとゲーマーが最後まで攻略したビデオテープを渡されました。あとは本のページ数と締切を言い渡されただけです。どういう漫画にするかは全て私に任されていたと言ってもいいでしょう。 任天堂も当時は自由に描かせてくれたので、あのような個性のあるリンクやマリオでも許して貰えたのです。
